まさか芦屋で一文字三ツ星紋を見る事になろうとは
しかも沢山
場所は阪神高速沿いにある『阿保山 親王寺』
何故こんな所に毛利家の家紋で埋め尽くされたお寺があるのか?
ヒントは、親王寺から北上した山手幹線沿いにある
阿保親王塚古墳にありました
阿保親王の子孫が長州藩の毛利氏に繋がるという説があり、阿保親王の
居所があったとされる親王寺や塚を毛利家が整備されたそうです
(山口県文書館には、阿保親王についてかなり熱心に調査した
毛利家文書が残っているとの事)
一文字三ツ星紋はオリオン座の他にも、阿保親王の位である「一品
(いっぽん)」を表わしているのだとか
現在は宮内庁管轄で中に入れませんが、緑に囲まれた静かな空間でした
阿保親王の息子のひとりが、かの有名な在原業平
芦屋川沿いには「世の中に たえて桜の なかりせば…」の歌碑と
業平橋という橋もあります
大正14年という事は、戦争どころか阪神大水害にも耐えたんですね
土木遺産に指定されているようです
芦屋市のマンホールは雅な伊勢物語風?
業平橋から国道2号線を西に進むと見えてくる大きな鳥居
西国街道と森稲荷神社への参道の分岐点を表わしているそうです
此処を南に下ればかつての深江浜、魚屋道である事を示す
お魚模様のタイルが、さり気なく歩道に埋め込まれています
住吉神社前にある立派な西国街道碑
説明板の文字がかなり見えづらくなっていますが、打出~生田間で
本街道と浜街道に分岐し、山の手の本街道は参勤交代用、浜街道は
庶民の生活道路として利用されてきた事などが辛うじて読み取れます
先程の親王寺は立地的に浜街道沿いのはずですが、毛利家は参勤交代の際
わざわざ立ち寄っていたそうなので、忘れた頃に大名行列が生活道路に
突っ込んできて庶民びっくり、な場面もあったのでしょうか。。
西国街道は2号線と付いたり離れたりしながら続いていき、春日野道付近
では商店街と交差する2ヶ所に碑と説明板がありました
こちらは大正時代の地図
こちらは江戸時代の地図
この『行程記』はなんと長州藩の役人さん作で、萩~品川間を網羅
しているそうです。という事は、この続きに萩往還が載っている…??
生田川に架かる、旧西国街道の橋
ピクトグラム風の参勤交代イラストが結構好き
新神戸方面&六甲山系を望む
三宮の駅前にある西国街道碑と説明板
先日此処を通りがかった際、偶然この説明板の中に「長州藩」「萩」の
ワードを見つけ(今まで何回も来ていたのに気付かなかった…)、改めて
5/4(かつての萩往還マラニック最終日)に、この道が萩往還へ続いて
いる事に思いを馳せつつ辿ってみました
行動範囲を制限されてもどかしくもありますが、その分身辺の解像度が
上がって、思わぬ発見ができたのは奇貨と言えるかもしれません